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脳と感情
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     脳と感情(養老孟司:東京大学医学部教授)NHKから

    そう思って注意していると、我々はあんがい、いろいろな偏見を持っている。その基礎は感情にある。偏見がある種の感情、つまり好き嫌いと結びついていることは、誰でも知っている。知らず知らずのうちに、感情は我々の生活に大きく影響しているのだ。人間は必ずしも理性の動物ではない。

     

    さらに感情は、恋愛や社会的な善悪の判断、あるいは戦争に、欠くことのできない要素となっている。こうした感情は、偏見とは違って十分に意識されているが、理性はしばしばそれを統制できない。そうした感情が人生を決めてしまうことになる。

     

    感情は、いわば視覚における、色や明るさのようなものである。視覚はものごとの形を確かに見て取り、自分が今見ているものがなにか、それを教える。しかし、色と明るさが欠ければ、視覚の世界は極めて単調なものとなり、ついに我々は、なにに注目していいのか、それすら分からなくなるかもしれない。

     

    感情は、動物では、食物の好き嫌いや、縄張りの防衛などに関係して生じたと思われる。ところが、ヒトでは脳が極めて発達し、さらにおそらくその結果として複雑な社会を作り、言語に代表されるような明晰な意識を持つようになったため、もともとは単純だった感情が、たいへん複雑な状況に置かれることになってしまった。現代社会では、我々は、もはや単純に怒ったり、笑ったりすることすらできない。

     

    感情に「ついて」説明する。それはいくらでも可能である。女性の会話などは、しばしばそれだけで数時間、充分に進行させていくことができる。それは、日常的にご存知の通りである。他方、感情そのもの「を」説明する。これはほとんど不可能である。感情は共感するしかないものだからである。

     

    感情が論理的にならないのと同じように、知覚にも論理になりにくいものがある。テレビ番組で、地方料理の食べ歩きを時々見かける。あれには、主人公が「うまい」という場面が必ずある。ところが「うまい」はそれ以上分解できない。ただ、「うまい」と言うしかない。それであの瞬間はどうも間が抜けてしまう。そうかといって、他に言い様がない。あとは料理に「ついて」も説明にしかならない。これは味覚が、嗅覚と同じように、大脳新皮質の機能としては弱いからである。

     

    それに比べて、資格、聴覚、触覚は新皮質の強い機能と言ってよい。これら三つの感覚がそれ自体で言語を構成できることは、すでに気づいておられるであろう。言語及びそれを用いる論理は、新皮質の機能である。

     

    感情は違う。同じ大脳でも感情は古い皮質の機能である。味覚と嗅覚は、そうした古い脳との連結が強い。だから逆に、この二つの感覚は、オフクロの味とか、懐かしい香りといった表現になりやすい。オフクロとか、懐かしいとかいっても、それは味や香り自体の説明にはまったくなっていない。オフクロ懐かしさも、その内容は一人一人まったく違うかもしれない。

     

    喜怒哀楽という感情は遺伝的に人の脳にセットされている。生まれつき目や耳が不自由な子どもでも、こうした感情が発現する。それぞれの人がどういう状況で喜び、どういう状況で怒るか、それは異なる。しかし、喜びという脳の中の過程自体は、まったく同じであろう。誰が怒ろうと、怒りは怒りである。

     

    それがどのくらい同じかといえば、我々がネコが怒っているのに気づく。なぜ気づくかといえば、たとえ相手がネコであっても、その感情や行動に、人間の怒りと類似点があるからであろう。我々はそれを「読み取る」。遺伝的に固定されたものは、動物によってそれほど大きく変ることはない。実際、古い脳はヒトも動物もそれほど変らない。ヒトで発達するのは新皮質である。

     

    同じ大脳の機能であっても、言語や論理は新皮質の機能で、感情は古い皮質の機能である。二つの皮質はもちろんしっかりと繋がっているから、両者を分けることは難しい。しかし、我々はその二つの違いを内観的によく知っている。

     

    感情はいつでも我々と共にあり、いつでも脳を支配する可能性を持つ。それは動物の脳からの遺産といってもいいし、我々に自分がなんであるかを気づかせてくれる、貴重な働きだといってもいい。それが内観的には言語になりにくいということは、客観的には調べるしかないということである。主観性の強い脳の機能ほど、まったく客観的に調べるしかないということ、それが脳研究の一見した矛盾を生み出しているのである。

    と、養老先生は言っています。

    | - | 20:53 | comments(0) | - | - |